成熟と喪失 “母”の崩壊/江藤 淳

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

■日本に漂う閉塞感の正体に関する考察
 僕はバブルを知らずに育った世代なので、かつて日本がイケイケだった時代の事は知識でしか知りません。僕が社会の出来事を知覚し始めたのは1995年くらいからなのですが、その頃には既に何とも言えない閉塞感のようなものが日本を覆っていました。

 本書の中で江藤さんは日米間における親子間の関係の違いについて、興味深い指摘をしています。
アメリカ(エリック・エリクソン『幼年期と社会』より)

 エリクソンは米国の青年の大部分が母親に拒否されたという心の傷を負っているという。(中略)エリクソンによれば、米国の母親が息子を拒むのは、やがて息子が遠いフロンティアで誰にも頼れない生活を送らなければならない事を知っているからだという。そういう息子の最も純粋なイメイジは、やがて目的地に着いたら屠殺される運命の仔牛の群

・日本

 息子は「家」のなかで、先祖伝来の田畑を守って生きなければならない。彼は放浪するカウボーイのように孤独であってはならず、母に対するように密接に血縁とつながり、母に対するような濃い情緒で大地に結びついていなければならない。日本の母と息子の粘着性の高い関係は、おそらくこういう文化的な背景から生まれたはずである。

 日米における親子関係の違いから重要な事が分かります。アメリカはフロンティア精神を培い、生きるを前提としているのに対し、日本は母的なつながりの中で生きる事を前提としています。この両国の特徴の違いは近代以降も、産業の発展に大きく影響しています。母的なつながりを前提としている日本は、母的なつながりを「会社とのつながり=終身雇用」に形を変え、1960年代の高度経済成長に代表されるように、日本全体が一丸となって発展してきました。一方、アメリカは、開拓地を「ビジネスによるグローバリゼーション」に形を変え、1980年代以降のシリコンバレーのハイテク企業に代表されるように、常に新しいフロンティアを開拓してきました。

 「母的なつながり」の中で発展して来た日本ですが、1990年代以降本格的にグローバリゼーションと対峙する中で、終身雇用は崩壊しつつあります。ここが非常に重要なポイントです。


 日本に漂う閉塞感の正体とは、終身雇用という母を失った事、そして新しい「母的なつながり」の不在なのではないかと僕は思うのです。