リトル・ピープルの時代/宇野常寛

リトル・ピープルの時代

リトル・ピープルの時代


僕は広告会社で働いているのですが、2年くらい前からAR(Augment Reality=拡張現実)という技術が少しずつ注目を集めています。例えば、特殊なコードが印刷された紙を腕に貼って、webカメラで腕を映すと腕時計をしているように見える技術があります。
どうやら時代はVR(Virtual Reality=仮想現実)からARの方向へとシフトしているようです。


本書では、村上春樹ウルトラマン仮面ライダーバットマン、AKB48の分析を通じて、世の中で起こっている事を見つめます。ちょっと突飛な感じがしますが、著者宇野常寛さんの「点と点を線で結ぶ力」はスゴイと思います。


■外部を失った世界について:ビッグブラザーとリトルピープル
僕たちは家族の一員であり、所属している会社の一員でもありますが、所属の一番大きな枠組みは国家だと思います。国家は僕たちを守ってくれる存在でも有り、束縛する存在でも有ります。ビッグブラザーとは国家に代表される、大きな体制の象徴です。ビッグブラザーは、私たちの支配する者であり、守ってくれる者でもありました。

やがて大きな体制は意味を持たなくなります。現在世の中を動かしているのはグローバル資本主義経済の枠組みです。国家でさえも、この枠組みの中に収まってしまいます。グローバル資本主義経済は意思や思想を持った者ではなくシステムです。ビッグブラザーの時代は終わり終わってしまったのです。

ここからが本書の本題、リトルピープルのお話です。
ビッグブラザーのいない世界、つまり自分を支配したり、守ってくれる体制の無い世界では、僕たちはそれぞれが自己目的によって行動します。この自己目的の事をビッグブラザーと対比してリトルピープルと表現しているのだと思います。

リトルピープルとは江藤淳さんの「成熟と喪失」で僕が感想に書いた“母”の崩壊に対する一つの答えを出しています。

「成熟と喪失”母”の崩壊/江藤淳」の感想
 「母的なつながり」の中で発展して来た日本ですが、1990年代以降本格的にグローバリゼーションと対峙する中で、終身雇用は崩壊しつつあります。日本に漂う閉塞感の正体とは、終身雇用という母を失った事、そして新しい「母的なつながり」の不在なのではないかと僕は思うのです。
成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

江藤淳さんが言うところの母=共同体、ジョージ・オーウェルが言う所のビッグブラザーがいなくなってしまった今、僕たちは自分達がそれぞれに抱えるリトルピープルと共に生きていくのです。


VRからARへ
ビッグブラザーの崩壊以降、インターネットの世界にも変化が訪れます。
90年代〜00年代前半にかけて、仮想現実であったインターネットの世界は、拡張現実へと変化を遂げつつあります。匿名だったmixiに代わって実名のfacebookが台頭し、実際に行った場所をfoursquareでチェックインする時代です。インターネットの世界は仮想現実ではなく現実の延長線上にあります。


ビッグブラザーからリトルピープルへ、VRからARへ変化する事で、とても重要な事が分かってきます。目の前で起こっている事が全てじゃなくて、大切なのは目の前で起こっている事をどうとらえるかです。例えるなら、史跡の観光に似ています。事前に勉強するとしないのでは、同じ場所へ行っても印象が全くちがってきます。


最後に、本書で宇野常寛さんが一番言いたかったと思う箇所を引用します。

リトル・ピープルの時代−それは、革命ではなくハッキングする事で世界を変化させていく〈拡張現実の時代〉だ。